狛江の歴史

江戸時代(文化・文政)、現在の狛江市の周辺は和泉村(120戸)、猪方村(42戸)、岩戸村(50戸)、駒井村(50戸)、覚東村(19戸)、小足立村(29戸)の6か村からなっていました。

明治5年、これらの村々は神奈川県の一部になりました。(!)

明治22年、町村制によって和泉村、猪方村、岩戸村、駒井村、覚東村、小足立村が併合され、狛江村が誕生します。

明治26年、神奈川県から東京府に編入し、その後の昭和27年、町政施行によって狛江町になりました。

昭和45年に市制を施行し、北多摩郡狛江町から現在の狛江市となりました。
当時は、面積6.15平方km で蕨市に次いで全国2番目の小さな市ということで評判になりましたが、平成元年の測量で、6.39平方kmに修正され、鳩ヶ谷市の次、全国で3番目に小さな市になっています。
(多摩川の中央が境界線なので、地べたで計算すると実はもっと狭いという噂もあります。)


その後、覚東地域は、東野川、西野川に地番変更になっています。


 地名「覚東」の由来

 
昔々、この地には武蔵国々学所があり「学童」と書いていました。しかし、江戸時代の初期にはすでに「覚東」と書かれています。なぜ、こう書くようになったかは不明だそうです。
(出典:神代団地便覧 昭和45年)

どなたか、詳しいことをご存じの方はお知らせください。






Copyright (C) 2001 Gakutou Ear Nose & Throat Clinic. All rights reserved